過去にいろんな会社に勤務してきましたが、トップダウンの会社、普通の会社、ボトムアップの会社に大きく分かれました。
トップダウンの会社というのは、トップ(とその周辺)の発言力が強く、下の社員は黙って従い、意見は上に上がっていきません。
このタイプは創業者がカリスマで相当な切れ者だったり、相棒がうまく創業者を補佐するケースが多くて、下の人間はあれこれ考える必要がなく
ただ作業をやってれば案外うまく会社が回ってゆくものです。
ボトムアップの会社というのはこの逆で、何か始まる時に下からの意見が採用されて、それが斬新で時代に合っていると
うまく作用して会社の利益になるというものです。これは理想的ですがなかなかこういう会社はないです。
普通の会社はこの中間で両方の性質を備えています。
会社がベンチャー期にある時は、トップ自身がアイデアとやる気にあふれていますから、トップダウンのやり方でもうまく行くのです。ところが会社が大企業となっても同じようにトップダウンでやっているといろいろと歪みが出てくるものと思われます。
それは勢力拡大時に才能を発揮するタイプの社長でも、細部をうまく回していく才能とは別モノだということを表しています。血縁だと言うだけで跡を継いだ2代目以降ならなおさらです。たまに物事を1から100にするのも、100から10000にするのも得意というスーパーマンみたいなトップもいますが・・・
幕末期で言うと、トップダウンの会社が幕府で、ボトムアップの会社が長州みたいなものでしょうか。
幕府は当時、力が弱まっていましたが佐幕派の頂点であり、日本の半分以上の勢力はこれに従っていました。武家を厳しく管理する法もここが発していましたし、極端なトップダウンの仕組みを日本全体に行き渡らせていました。しかし、この旧態然とした幕府が日本を滅びの道へ導いていたのが当時の情勢でした。
日本を救うため幕府に逆いたい、あるいは逆らっても良い、と思っていたのは長州と薩摩、それに親しい数藩にすぎませんでした。幕府の力は圧倒的なものです。雄藩(力の大きな藩)とはいえ、長州と薩摩の2藩程度が幕府と争ったら、余裕で幕府が勝つだろうと誰もが考えていたのです。実際に長州だけで幕府軍と戦ったら、長州はボロ負けして滅亡寸前まで行ってしまいました。
長州はトップが毛利侯でこの人は部下の話をよく聞き、実質、部下の進言で長州は動いていました。極端なボトムアップです。薩摩は島津斉彬ー西郷隆盛ラインの頃はいざ知らず、島津久光ー大久保利通ラインになってからはトップダウンの国になってしまいました。ボトムアップの国は、当時長州ぐらいのものだったでしょう。部分的によく部下の話を聞く藩は有ったと思いますが。
さてボトムアップの国・長州は幕軍に負けたあと、軍事のスペシャリストである大村益次郎の手によって軍隊を洋式化し、農民も銃兵に化けました。高杉晋作ほか、天才的な人物が育っていた要素もあったでしょう。銃などを用立ててくれた第三勢力の力もうまく取り込みました。
洋式化した長州軍は生まれ変わり、漫然と大軍だけを頼りにした幕府軍に戦で勝つようになります。それと同時に幕府軍の威光も陰りが見え、長州側になびく藩が多く出てきました。その結果、幕府は大政奉還し、日本全体が新しい道を拓いたのです。
何が言いたいかというと、弱そうに見える会社でもボトムアップの体質なら、漫然としたトップダウンの大会社にも勝てるだろうということです。
東芝などがそうですが、後からどんどん不祥事や隠蔽、偽装の類が出てきますね。全部トップとそれに近い幹部がやっていることです。
この手の会社は本筋(=良いものを作ろうとか、役に立つものを作ろうとか、時代や情勢にあったもので勝負しようとか)の努力を怠って、ごまかすことばかり考えているので、墜ちるところまで墜ちると思われます。私が最初に就職した大企業もこれそっくりでした。
創業時点では絶対に違っていたと思います。すべてはダメにしてしまった人たちがいるはずです。
堕ちきって残った一握りの有能な技術者たちが、長州よろしく東芝という会社を新しく立て直してくれることを期待したいです。